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イヌは最古の家畜であり、4-5万年程度前からヒトと共生してきた。この共生の過程で、ヒトとイヌは特殊な関係性を構築し、最も身近な動物として広くヒト社会に介在している。これまでイヌと生活することでのヒトの心身における恩恵に関する報告は枚挙に暇がない。例えば戦争帰還兵などうつ病、自閉症児のケア、疼痛抑制や消化器疾患において、イヌとの生活が効果をもつことが報告されている。すなわち、現代のヒト社会が抱える健康上の問題点の多くが、イヌとの生活で改善しうることが疫学的に証明されており、現に欧米では犬を飼育している人の保険の掛け金が割引になるほど、その効果は疑いようがない。
この疫学的な効果の生物学的メカニズムを明らかにすることは、ヒトと動物がどのように共生進化してきたかを知るだけに留まらない。少子高齢化に伴い、ペットの飼育が上昇し、15歳人口よりも犬猫の飼育頭数のほうが多い現状において、有益な動物との共生メカニズムの解明は、ヒトの心身の健康を推進し、高騰する医療費の削減、発達障害や核家族化による弊害の改善などにつながる急務の課題である。動物との共生において、ヒトに恩恵をもたらす有力な候補分子として神経ペプチドのオキシトシンがあげられる。オキシトシンは不安やうつ病、ストレス応答を軽減させ、過剰な緊張を抑える効果を持つことを明らかにしてきた。また鎮痛効果をもつことや、自閉症児への症状改善効果、肥満抑制、循環器障害の改善,消化器の安定化作用も知られている。本学ではヒトとイヌの間に視線を用いたオキシトシンと親和行動のポジティブループが存在し、絆形成につながること、このオキシトシン機能はヒトとイヌの共進化のプロセスで獲得したことを実証した(Science, 2015)。このことからイヌとの生活によって得られる心身の健康の背景にはヒトのオキシトシン神経系の賦活化が関与すると考えられる。もう一つの候補シグナルは、イヌがもたらす細菌叢の影響である。常在細菌叢は、人も含んだ哺乳類(宿主)の生命機能維持や免疫系の獲得に必要不可欠な存在であり、長い進化の過程で相利共生の関係性が構築されてきた。その結果、細菌叢の変化は、人や動物の身体機能を大きく変えることが明らかとなってきている。微生物の発見は、病原体としての微生物学を飛躍的に発展させ、病原性微生物の管理法を確立した。一方、その多様性のために全ての細菌叢を把握することが長く困難であり、細菌叢と動物個体の共生メカニズム、健康維持や疾病との相関は未踏の領域であった。近年、メタゲノム解析と網羅的細菌叢解析が可能となり(Ley et al., Science, 2008)、本学においても人の常在細菌叢解析を先駆けとして、様々な細菌叢が当該の疾病や耐性と関係していることを明らかにしてきた(Nature 2011, Nature 2013)。特にこれまで衛生仮説として知られてきた、多様な微生物叢とのかかわりによる心身、とくにアレルギー反応の軽減効果は有名で、実際に犬を飼育することでの小児喘息の発生率の軽減、肥満や高血圧などの疾患の改善の一端に腸内細菌叢の関与が示されるなど、ヒトの心身の健康における微生物叢の関与が報告されてきている。すなわち、イヌとの生活による恩恵は、共生の歴史で育まれてきた視線などの社会的なやりとりに加え、イヌと共有する微生物叢が関与する可能性がある。
そこで本課題では、逸話的に語られてきたヒトとイヌを代表とする動物との関係性を、ヒトの健康への寄与という観点から、分子生物学的、行動学的にそのメカニズムの解明に挑み、一丸となって動物共生科学を創生し、ヒト健康社会の実現に貢献する。